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ホットトピック(1) 明らかになりつつある戦国時代の岐阜城~山上部発掘調査成果~(1)

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岐阜県岐阜市

企画・編集/広報広聴課、文化財保護課
岐阜城は金華山に築かれた山城です。岐阜城全体の88カ所で戦国時代の石垣が見つかっています。今回は、戦国時代の岐阜城の姿を明らかにする手がかりとなる、天守台、天守東側、二ノ門、一ノ門での、これまでの発掘調査成果を紹介します。

問合せ:文化財保護課
【電話】214-2365

■主な発掘調査成果(平成30年度~令和4年度)
(1)天守台
信長公が築いた石垣を発見(令和元・2・4年度)
(2)天守東側
池田輝政公が築いた石垣を発見、大量の瓦が出土(令和3・4年度)
(3)二ノ門
鉄製の矢じりが出土(平成30年度) 信長公が築いた石垣を発見(令和2年度)
(4)一ノ門
巨石と石垣は道三公が築いたものと判明(令和2年度) 道三公と信長公の2時期の門のあとを発見(令和3・4年度)

■信長公が築いた天守台石垣を発見!
明治43(1910)年に天守台の石垣を縮小して積み直したため、戦国時代の石垣は残っていないと長年考えられていましたが…
(1)天守台発掘調査の過程

天守台の規模や構造が明らかになったぞ。
日本城郭史における「天守」の起源を考える上でも重要な発見じゃ。岐阜城が「天守」の起源と言える発見につながるかもしれんのぉ。

■令和4年度調査場所公開中!
(2)天守東側のポイント
《調査成果》
石垣と瓦を発見
《考えられること》
石垣の積み方の特徴と出土した瓦の文様 二ノ門のポイントから、石垣は池田輝政期に築かれた
※この石垣は信長公の時代にはなかったと考えられるので、イラストには描かれていません
※公開について、詳細は文化財保護課へお問い合わせください

■(3)二ノ門のポイント
《調査成果》
信長期の石垣の周辺で鉄製の矢じり(長さ約15cm、重さ約28g)が出土
《考えられること》
矢じりは関ヶ原の戦いの前哨戦(1600年)で用いられた可能性が高い

■巨石を使って道三公が築いた!
信長公は道三公の門を受け継いで再整備!
一ノ門は信長公が築いたと考えられていましたが…
(4)一ノ門発掘調査の過程

巨石は権威を示す重要な役割を果たす。
大きな石を運ぶのは大変だったじゃろう。
信長公は道三公が築いた一ノ門の場所を変えずに巨石と門を組み合わせた門構えを受け継いだようじゃ。

       

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