■信長公時代の天守西側3段目の石垣、礎石(そせき)、竪堀(たてぼり)※の痕跡を確認!
令和7年度は、(1)天守西側と(2)一ノ門北側を調査しました。信長の岐阜城の姿をさらに更新する発掘調査の成果を紹介します。今後も調査を進め、岐阜城の真の姿に迫っていきます。詳細は、市ホームページ(【HP】1021639)に掲載。
※敵の横移動を遮断するため、斜面に対し垂直方向に掘った防御施設
■調査成果
●(1)天守西側
◇1 信長公時代とみられる天守西側3段目の石垣を確認!
《石垣の石材1石(A)》
・大きさ:幅70cm 高さ40cm 奥行95cm
《石垣の裏込め※(B)》
※石垣を背後から支え、雨水などを石垣の底へと排出するための石
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◇Point『稲葉城趾之図』の正確さが改めて証明された!
江戸時代の絵図『稲葉城趾之図』(下)には、天守西側に4段の石垣が描かれています。天守西側では、これまでの調査により、1、2、4段目の石垣を確認していました。
今回の調査で西側3段目の石垣が確認されたことで、絵図のとおり4段であったことが確定しました。
◇2 信長公時代とみられる礎石3石を確認!
《礎石はすべて川原石》
・1石は平坦地のほぼ中央、残り2石は北側斜面で確認
◎天守周辺での発見は初めて!
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◇Point 櫓(やぐら)※や塀などがあった可能性が出てきた!
3段目石垣の平坦地で確認された礎石の配置間隔は、おおむね建築に用いられる寸法(約1.8m=1間、約3.6m=2間)でした。
このことから、平坦地に櫓もしくは塀などがあった可能性がでてきました。
また、礎石と3段目の石垣は、同じ地面を基礎につくられていることから、同時期に一連の工事で構築されていることがわかりました。
※城の要所に建てられた建物。戦時は見張りや指揮所の役割を担ったが、平時には武器や兵糧などの保管庫としても利用された
◎コメント
中井 均さん(史跡岐阜城跡整備委員会委員長・滋賀県立大学名誉教授)
今回、「稲葉城趾之図」に描かれている3段目の石垣を確認できたことで、天守西側の石垣が4段であったことが証明された。階段状に築かれた石垣は、城下から見上げた際に、あたかも一続きの高石垣のように「魅せる」効果を狙ったものであると考えられる。また、この平坦地に櫓や塀といった建物があった可能性がでてきた。信長の岐阜城の姿をさらに更新する大きな成果と言えるだろう。(一部抜粋)
●(2)一ノ門北側
◇3 竪堀の痕跡を確認!
竪堀の幅は約8.5m
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◇Point 信長公が竪堀を埋めて新たな登城路を造成か?
これまでの調査で、一ノ門北側の東側斜面下方には竪堀があることがわかっており、今回の調査で、竪堀が登城路まで延びていたことを確認できました。
竪堀は、道三公の時代に構築され、信長公の時代に通路の造成のため埋められたと考えられます。
※詳しくは広報紙4ページをご覧ください
問合せ:文化財保護課岐阜城跡整備推進室
【電話】214-3673

