市では、令和6年能登半島地震の被災地を支援するため、令和6年1月1日から7月31日までに、延べ410人の職員を被害の大きかった輪島市などへ派遣しました。地震発生当初は救助や医療、給水などの活動を行い、1か月が経過した頃から避難所運営支援など、被災地の状況に合わせてさまざまな支援を行ってきました。現在では復興へと段階が移り、公費解体支援業務などを行っています。
■被災地派遣職員のレポート
◆輪島市街地の被害の様子
1 火災が発生した輪島朝市周辺では多くの建物が焼失
2 隆起したマンホール
3 市街地では多くの建物が倒壊
※写真は5月26日~31日に撮影
◆市職員が岐阜県の派遣チームとして避難所で支援業務を行う様子
4 支援物資の整理や補充
5 ごみの分別廃棄
6 トイレ清掃
7 業務予定や伝言などを共有
※詳しくは広報紙P6をご覧ください。
◆Report 広報広聴課 五島係長
派遣期間:5月26日~31日
私は、岐阜市の被災地派遣職員として輪島市立鳳至(ふげし)小学校で避難所運営支援業務に従事しました。
支援業務では、岐阜県の派遣チームとして30人が3班に分かれ24時間体制で支援にあたりました。私の班は、11人(岐阜市3人、県や他市8人)で8時~16時の時間帯を担当し、ごみの回収や仮設トイレの点検、給食の受け取り・配膳、避難物資の補充、清掃、シャワーの予約受付などを行いました。
避難所の体育館には、5月27日時点で26世帯55人が避難されており、床に畳を敷き布で間仕切りをしたスペースで生活されていました。日中、子ども達は避難所から近隣の学校へスクールバスで通学し、大人は近くの漁港などへ仕事に出る人もみえました。
下水道が復旧しておらず、トイレは屋外に設置された仮設トイレなどを使用されていましたが、高齢で外まで出られない人は、屋内トイレで凝固剤を使用されていました。
避難所付近の市街地には多くの倒壊した建物などがあり、想像していたよりも復旧や生活再建が進んでいないことを実感しました。以前に輪島朝市に行ったことがあったのですが、記憶の光景と目の前の様子とのギャップはとても大きなものでした。
今回の経験を通して、今起こるかもしれない災害から命を守るために、自宅の耐震性の確保や備蓄品の準備など事前の備えが大切であることを痛感しました。
派遣先の避難所:輪島市立鳳至(ふげし)小学校
■令和6年能登半島地震による輪島市の被害等の状況
死者数:142人
重軽傷者:516人
住家被害/全壊:2,281棟
(令和6年8月20日時点)
◆石川県輪島市
輪島市の東北東30キロメートル付近が震源となり市内で震度7を観測。
問合せ:都市防災政策課
【電話】267-4763