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■信長公は山の上でも客人をおもてなし! ~山上部に「庭的空間」や「饗応(きょうおう)が催された場所」があった可能性~
令和5年10月から実施した発掘調査の成果を紹介します。今後も調査を進め、岐阜城の真の姿に迫っていきます。
◆[調査箇所]天守南通路西側
江戸時代の絵図『稲葉城趾之図』には、天守に向かう通路の両側に石垣が描かれています。現在は東側2段、西側上段のみ露出しており、今回の調査で、西側下段の石垣の有無を調査しました。
◆[調査成果]
◇1 信長公時代とみられる下段の石垣を確認
↓
通路の両側に2段の石垣を持つ構造であることが判明
改めて、『稲葉城趾之図』の正確さが証明された
◇2 確認した下段の石垣前面から、円礫(えんれき)とかわらけ(素焼きの皿)が大量に出土
・円礫→石垣の上部が単なる通路ではなく、庭的空間があったことを示唆
・かわらけ→饗応が催された場所である可能性
◇[Point]~これまでイメージしていた岐阜城の姿に修正を迫る歴史的な発見~
庭園や景色を見せて客をもてなす施設が、山麓部の居館だけでなく、山上部にもあった可能性が高い
◎調査成果の詳細は、市ホームページ(【HP】1021639)でご覧いただけます。
※詳しくは広報紙P5をご覧ください。
問合せ:文化財保護課岐阜城跡整備推進室
【電話】214-3673