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岐阜県岐阜市

■道三から信長、そして池田輝政へと受け継がれ発展した城造り
昨年度に引き続き、史跡岐阜城跡山上部で発掘調査を実施しました。今年度は天守東側と一ノ門の調査を行い、それぞれ成果が得られました。今後も調査を継続し、岐阜城のさらなる解明に努めていきます。

■調査概要
調査場所・面積:(1)天守東側(約50平方メートル) (2)一ノ門(約200平方メートル)
調査期間:令和3年10月29日~令和4年1月(予定)
(1)天守東側
・大正期の絵葉書に写っている東面の石垣が見つかり、石垣の位置が判明。また、石垣の上に造られた建物に使用されたと考えられる瓦が出土。
・天守東側には江戸時代の絵図に石垣が描かれ、大正期の絵葉書写真にその石垣が写っている。現在は取り壊され、南西隅の部分しか残っていない。
・これまでの研究では、石垣の積み方の特徴と、周辺で採集された瓦とその文様から池田輝政の時期に石垣と建物が造られたと推定されている。また、江戸時代の史料には池田輝政によって天守が築かれたとの伝承も残っている。
➡今回の発掘調査で、池田輝政によって信長が築いた天守周辺の改修が行われ、新たに石垣と瓦葺の建物を築いた可能性が高まった
(2)一ノ門
・昨年度見つかった柱跡の対になる場所で礎石とみられる石材を確認。
・岩盤を掘り込んだ大型の穴を確認。底から水が湧いており、井戸の可能性が高いと考えられる。
➡一ノ門の構造を知る新たな手掛かりを得られた

問合せ:文化財保護課
【電話】214-2365

       

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