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岐阜を動かす29

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岐阜県岐阜市

■大河ドラマ「麒麟がくる」放送を終えて
大河ドラマ「麒麟がくる」が最終回「本能寺の変」を迎えました。放送決定以来、大河ドラマ館の開設、岐阜城・岐阜公園全体のゾーニング、城内展示のリニューアル、登山道・サインの整備、土産品開発など、県市連携や官民連携により準備、運営を行ってきました。関係者の皆さんのご協力に、心より感謝申し上げます。
さて、大河ドラマの舞台として全国の注目を集めた岐阜城ですが、先月、史跡岐阜城跡山上部の発掘調査成果を発表しました。今年度は、「一ノ門」の構造確認と、昨年度見つかった信長期の可能性がある「天守台石垣」をさらに詳しく調査しました。
一ノ門については、その構造が16世紀前半に美濃国守護の土岐氏が築いた山県市大桑城岩門と非常に類似していることから、大桑城と同じ技術を用いてほぼ同時期に斎藤道三公によって築かれたと考えられます。調査の結果、岩盤上面を平坦に加工した痕跡と、火を受けて赤く変色した箇所を確認しました。加工された痕跡が直線上に3ヶ所見つかり、門の柱を据え付けた跡の可能性があります。焼けた壁土や瓦も見つかっていますので、1567年の織田信長公入城後に瓦ぶきの門に改修され、1600年の関ケ原の戦いの前哨戦による火災で焼け落ちた可能性が高いようです。
天守台石垣の発掘では、天守台石垣が2段で構築されていることが判明しました。信長公入城後の石垣の特徴を持つとともに、裏込め石が天守台石垣の基礎を兼ねていることから、信長期に同時に築かれた可能性が高いようです。また、昨年度と今年度の天守台周辺調査において軒丸瓦と軒平瓦が出土、そのうち軒丸瓦の文様の特徴が信長公の家臣団の城である明智光秀公の坂本城や、細川藤孝公の勝龍寺城などで見つかっている瓦と類似しており、天守台石垣が信長期に築かれた可能性がさらに高まりました。
滋賀県立大学教授(日本城郭史)の中井均先生は、「岐阜城の構造は信長による独創性の高いものと考えられていたのであるが、一ノ門は道三時代の構造をそのまま信長が引き継いだわけである。一方で天守台は信長の独創であった。」「これまでの信長の岐阜城の姿を大きく塗り替える成果となった。」と評価して下さいました。
あわせて、大河ドラマ放送後を見据えた観光まちづくりについて、準備段階から協議を重ねてきました。有識者による委員会が検討を進める岐阜城天守閣耐震化事業のほか、岐阜公園の再整備、用地取得を進める公園拡張エリアの活用など、岐阜城・岐阜公園を全国に誇る歴史遺産・観光資源として魅力を高めていくことは、地域への愛着や誇り、すなわちシビックプライドを高めることにつながります。観光まちづくりの本番はこれからです。
岐阜市長 柴橋

       

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