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ホットトピック(2)

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岐阜県岐阜市

■一ノ門は道三が、天守台は信長が造った!!
岐阜城跡では昨年度に引き続き、金華山山上部で発掘調査を実施しました。今年度は一ノ門と天守台周辺で調査を行い、それぞれ成果が得られました。今後も調査を継続し、岐阜城のさらなる解明に努めていきます。
■調査概要
調査場所:金華山山上部 (1)一ノ門 (2)天守台周辺
調査期間:令和2年10月28日~令和3年2月(予定)
調査面積:約440平方メートル

■調査結果
○一ノ門
●一ノ門の構造が判明!
・岩盤の高まりの周りに、巨石と石垣を組み合わせて築いている
・構造と上から見た平面の形が16世紀前半に美濃国守護の土岐氏によって築かれた「山県市大桑城岩門(おおがじょういわもん)」と酷似
・岩盤上面を平坦に加工した痕跡と火を受けて赤く変色した箇所を確認。平坦に加工した痕跡は直線上に3か所見つかり、門の柱を据え付けた跡の可能性がある
➡信長が約30年前の技法をまねて造ることは考えにくい。一ノ門は大桑城岩門とほぼ同時期に、同じ技術を用いて斎藤道三によって築かれた
➡1567年の信長入城後に瓦ぶきの門に改修され、1600年の関ケ原の戦いの前哨戦による火災で焼け崩れた可能性が高い

○天守台周辺
●天守台の2段目の石垣を初めて確認!
・4段残存(長さ約2m×高さ約1.2m)
・石材同士の間に間詰石(まづめいし)が詰めてある
・現在の天守が乗っている石垣の基礎部分でも戦国時代の石垣を確認
➡天守台石垣が2段で構築されていることが判明!
➡信長入城後の石垣の特徴をもち、1段目・2段目は同時期に築かれた可能性が高い

●軒丸瓦(のきまるがわら)と軒平瓦(のきひらがわら)が出土
・軒丸瓦は、文様の特徴が信長の家臣団の城である坂本城や勝龍寺(しょうりゅうじ)城などで見つかった瓦と類似
➡信長期に使われていた可能性が高い

天守台石垣が信長期に築かれた可能性がさらに高まった

■ポイント
今回の成果で、信長は土岐氏や道三を受け継ぎ、さらに発展させた城造りを行ったことが明らかになった。

問合せ:文化財保護課
【電話】214-2365

       

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