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岐阜市のええとこ・ええこと! Vol.2

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岐阜県岐阜市

~本物の歴史にふれる「岐阜城跡(ぎふじょうあと)」編~

岐阜市には、誇るべき“ええとこ・ええこと”がたくさんあります。皆さんに岐阜市に住んで良かったと再認識していただけるような市の魅力をシリーズでお届けしています。今回は、「本物の歴史にふれる『岐阜城跡』編」です。

岐阜市のシンボルとして、古くから親しまれてきた岐阜城跡。平野にあるためか、周囲の山よりひときわ高く感じる金華山。どこからでも見える城=「見せる城」として、斎藤道三公や織田信長公らに愛されてきた岐阜城跡の魅力をたっぷりご紹介します。

■山上
○戦国時代の「石垣」が現存!
400年以上前に造られた石垣や巨石が当時のまま残る!

・伝 一ノ門跡(a)
門があったと伝わる。現在は倒れた巨石や石垣を見ることができる。上の斜面には「伝太鼓櫓(たいこやぐら)」があり、一体となって敵の侵入を防ぐ構造であった。

・切通(堀切)(b)
敵の侵入を防ぐために、山の尾根筋を深く削り取った場所。岐阜城では、こうした人工の防御施設は少なく、基本的には切り立った天然の地形を利用して敵の侵入を防ぐ構造であった。

・伝 二ノ門跡(c)
折れ曲がった通路で、入口には大型の石材を使用した石垣が残っている。戦国時代の通路の形がそのまま残っていると考えられる。

・天守へ至る通路の石垣(d)
尾根が低くなっている場所を埋めるように石垣を築き、上部に通路状の平坦地を設けている。岐阜城跡に現存する石垣の中では、最も当時の姿をとどめている。

・岐阜城(稲葉山城)の歴史
1201~1204(建仁年間) 二階堂行政公が稲葉山に城を築いたとされる
1539(天文8)頃 斎藤道三公が拠点を置き、本格的に城郭利用
1567(永禄10) 織田信長公が本拠地を移し、「岐阜」と改名
1600(慶長5) 城主・織田秀信公の時、関ヶ原の前哨戦で落城、廃城
1910(明治43) 日本初となる復興天守を建設
1943(昭和18) 失火で焼失
1956(昭和31) 鉄筋コンクリート製の天守を再建して、現在に至る

■平成30年度
山上部の試掘調査を開始・公開(馬場~二ノ門)
⇒10月下旬から1か月程度
※公開期間・時間などは、広報ぎふ11月1日号でお知らせします。

■中腹
○山全体が「城」だった!
中腹で石垣を発見!岐阜城と山麓居館の二元的構造を見直す新発見!

今年1~4月に、金華山北西部の中腹部を調査。建物があった可能性を示す石組みや石垣群を発見!
西側斜面だけに造られているのが特徴的で、城下町からの見栄えを強く意識したものと考えられる。
※普段は立ち入り禁止

(1)赤川洞(赤ヶ洞)で、谷筋を護岸する巨石石組み

調査結果
・護国神社南側の谷筋で、平坦地と石組みを確認
・石組みの総延長約50m(標高45~65m)
・石材の大きさ2m以上

⇒谷川の両側に平地を作り、人工的に組まれた巨大な岩。
景色を楽しむために造られた庭園の一部?
江戸時代の伝承では、信長公の孫・秀信公の居館があったとされている場所。

(2)天守から北西の尾根上で、新たな石垣群
調査結果
・標高140~160mで、6段の平坦地を確認
・このうち、3か所の平坦地 西斜面に石垣1~3段分が残存
・石垣の総延長約38m、石材の長さ平均約80cm
・最も大きい石材は長さ270cm×高さ60cm=岐阜城で最大!

⇒戦国時代に信長公が築いたとみられる。
ここにあった建物は嫡男・信忠公の 居場所の可能性などが考えられる。

◆新事実!
伊奈波神社所蔵の絵図「稲葉城趾之図(いなばじょうしのず)」にも、今回発見された石垣や平坦地が描かれていることが分かった!

拡大してみると、中腹には片面だけに石垣がある平坦地が確認できる。

■山麓
○「地上の楽園」があった
巨大な庭園と豪華な御殿で構成する迎賓館が存在した!

▽山麓城主居館
谷の中心に川が流れ、両側には複数の平坦地が階段状に配置。
この地形は斎藤道三公・義龍公・龍興公の頃に造られ、織田信長公が大きく改修した。

▽巨大庭園
池や石敷きなど7つの庭園があった。

 ▽巨大な岩盤を背景にした庭園《A地区》
平坦地の中央には大きな池があり、南と北側に建物があった。高さ約35mの巨大な岩盤からは2本の滝が流れ落ちていた。

▽山水画の世界が広がる館の最奥《B地区》
館の東奥は、谷川と石垣で区画された3つの平坦地。蔵のような建物の基礎や水路、庭園などが見つかる。

▽館の中心建物《C地区》
屋根の棟に用いられた金箔瓦のほか、複数の庭園が見つかる。庭園の背景に用いられた巨石は現地で見学することができる。

▽入口
通路の両脇に人の背丈ほどある巨大な石を立て並べた館の入口(巨石列)。
館を訪れた人は石の大きさに驚いた。

■城下町
○「道三公」が作った城下町
岐阜の城下町の基礎は斎藤道三公が築いた!

斎藤道三公は山上の稲葉山城と山麓の居館を整備するため、金華山麓の丸山にあった伊奈波神社を現在地に移転させたといわれる。
また城下町については、七曲通(現在の本町周辺)には井口村の百姓が町家を作り、百曲通(現在の上大久和町周辺)には大桑(現在の山県市)の町人を移住させて新たに町を設けたとされる。
その後、織田信長公が、空穂屋(うつぼや)町(現在の靭屋町)と新町(現在の上新町・中新町周辺)に尾張の町人を移住させた。

◆いいね!岐阜市
NHK大河ドラマ「麒麟(きりん)がくる」決定
岐阜で若き頃を過ごした、明智光秀公を描いた作品を放送予定

NHK大河ドラマ「麒麟がくる」が2020年1月から放送決定!ドラマでは、斎藤道三公を主君とした明智光秀公が主人公。岐阜市を全国にPRする絶好の機会として、積極的に活用していきます。

問合せ:広報広聴課
【電話】214-2387

       

岐阜市から市民の皆さまへ大切な情報をお届けします。 広報プラス ーわたしの広報ぎふー

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