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信長公と岐阜8 小和田哲男

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岐阜県岐阜市

宣教師と岐阜の人びととの交流
 ルイス・フロイスは二度岐阜を訪ねているが、一度目は永禄十二(一五六九)年で、そのとき、信長居館のことを詳細に書き残していた。二度目は元亀二(一五七一)年で、このときはおもしろいできごとがあったことを記している。 『日本史』に、「ここに一つの滑稽な出来事があった」との書き出しで、ちょっと信じられない光景があったことを伝えている。
 二度目の来訪のとき、フロイスは、日本布教長フランシスコ・カブラルの随員という立場であった。そのカブラルが眼鏡をかけていたのである。当時、日本にはまだ眼鏡は普及していなかったので、いつの間にか、「バテレンには目が四つある」といううわさが広まり、いわばその「四つ目のおばけ」見たさに、岐阜に群衆が集まったというのである。その数四千から五千というからすごい。フロイスは「尾張からも殺到した」と書き残していた。
 なお、フロイスはその文章に続けて、群衆がフロイスらを囲んで大声を出しながら、手をたたき、飛びあがって喜んでいた様子も記している。民衆は「南蛮人」に彼らなりの態度で親愛の情を示していたのである。

       

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