シンギュラリティ2045というのは聞きなれない言葉ですが、今から約30年後の2045年には人工知能(AI)が人類の知能の総和を上回ってしまうのではないかという仮説です。つまりウカウカしていると、人工知能が人間を凌駕(りょうが)し制御が利かなくなってしまうかもしれないという恐ろしい話なのです。つい先日、織田信長公もこよなく愛した将棋の世界で、最年少プロで若干14歳の藤井四段が羽生三冠に勝利したというニュースがあり大いに驚いたものです。しかし、もっと驚くべきは今年の4月に佐藤名人が将棋ソフト「PONANZA」に敗れたことです。また、囲碁の世界でも昨年3月には韓国で世界トップ級のイ・セドル九段が「アルファ碁」に負け越したというニュースもありました。
このように人工知能は着実に進化を遂げており、例えば事前に行先を入力しておけばブレーキやアクセル、更にはハンドルに触れることなく目的地に到着できるという夢のような自動運転車の時代もすぐにやってくるでしょう。既に私たちの身の周りには、掃除ロボット、自動翻訳機、挨拶や身振り手振りで人を癒(いや)してくれる人型ロボット「Pepper」などが実用化されています。人工知能が人間に代わってやってくれる仕事を数え上げたらキリがありません。しかし便利になるからと言って手放しに喜んではいられないようです。最近の研究によると今後、人工知能にとって代わられる可能性のある職業として、スポーツ審判、電話オペレーター、ホテルなどの受付、レジ係、運転手、警備員などが挙げられており、今後10 ~20年以内に今ある職種の約半数が人工知能に取って代わられる可能性が高いと予測されています。
単純作業労働だけではなく、銀行の融資や保険の審査など多様な知識が必要とされる仕事さえ人工知能に奪われるかもしれないというのです。一方で作曲家、ミュージシャン、画家、俳優、セラピスト、作業療法士など人の感情に配慮しなければならない仕事や、芸術などの創造性を必要とする仕事は人工知能に取って代わられることはないだろうと言われています。このような時代を生き延びていくためには、教育分野でも従来のような「暗記学習」から主体的に問題を解決する能力、無から有を生む創造力、人と共感できる力などを育てる教育への脱皮が必要です。そこで岐阜市では教育改革の一環として、国に先駆け今年度から市内全小学校、中学校でプログラミング教育を始めました。人工知能に使われるのではなく使いこなすことができる子どもが岐阜市から育ってくれることを大いに期待しています。