小長谷 研二さん(30)岐阜西スポーツクラブ
「東京オリンピック・パラリンピック」ターゲットエイジ育成事業で今年度、新たに強化指定選手に選ばれた4選手を連載で紹介!岐阜市から世界を見据え、2020年の夢舞台を目指す選手たち。その並々ならぬ努力の裏側に迫ります。
水泳(競泳)
「東京オリンピックでメダルを獲得したい」リオ出場の経験を生かし、2度目の出場を目指す
水泳歴は30年。体を強くするため、生後まもなく、ベビースイミングの教室に入ったことが競泳人生の始まりでした。順調に泳ぎを覚え、小学2年生で選手コースに進級すると、週6回の練習漬けの毎日が始まります。「練習が厳しく、学校の友だちとも遊べないので、小学生時代は水泳に対して嫌な思い出しかない」と苦笑いします。そんな小長谷選手に転機が訪れたのは、中学2年生の時。200m自由形で日本水泳連盟が定める基準タイムをクリアし、全国で頭角を現していきます。「合宿や大会を通じて、ともに戦う仲間を得たのが大きかった。頑張って練習した分だけ、結果になって返ってくるのが水泳の魅力」と振り返ります。
中学3年生で出場した国体では、100m自由形で準優勝。高校2、3年生の時の高校総体では、100m自由形で3位に輝きます。その後、高校まで過ごした地元北海道を離れ、中央大学に進学。3年生で出場した日本学生選手権では、個人50m自由形準優勝、100m自由形3位、400mリレーで優勝の快挙を果たします。「オリンピックは子どもの頃からの夢。現実的に意識するようになったのはこの時からだった」と話します。大学卒業後は、岐阜市内で就職。2010年のぎふ清流国体では、100m自由形で48秒99の大会新記録を樹立し、優勝。県勢の天皇杯獲得に貢献しました。
国体終了後、一度は引退を考えたという小長谷選手ですが、周囲のサポートもあり現役を続行。2012年のロンドンオリンピックへの出場を逃すなど、多くの苦難を乗り越えて、昨年、29歳で念願のリオデジャネイロオリンピックへの出場権を獲得します。男子400mリレーに第3泳者として出場し、日本チームとしては48年ぶりに決勝に進出。8位入賞の快挙を果たしました。「緊張とプレッシャーで押しつぶされそうになったが、いつも通りの泳ぎをしようと平常心でいることを大切にした。レースを楽しむことで、全力を出すことができた」と大舞台での活躍を振り返ります。
30歳を迎えた今、可能な限り現役を続けたいと望む小長谷選手。「僕を支えてくれた人、一緒に喜んでくれた人が岐阜にいる。多くの人に出会い、支えられてここまで来た。結果を残すことで皆さんに元気を与えたい」と目を細めます。現在は恩返しの意味を込め、練習の合間をぬって後進の指導にも力を入れています。東京オリンピックに向けて、「リレーだけでなく個人種目でもメダルを狙っていきたい。そのためには、さらなる経験を重ねることが必須」と強調。「若い選手が育ってきている中、経験を生かし、スプリント力や持久力などを総合的に鍛えていく必要がある。ゼロからの挑戦です」と新たな目標に向かい熱い闘志を燃やしています。